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活版印刷が私の家であり

   家族そのものだった。

=たかせ きぼう=
1987年生まれ 女性 
徳島県徳島市育ち
高等学校卒業後  大阪の医療系専門学校へ進学
20歳で一般企業に就職するも23歳で退職
人生経験を増やすためと単身渡英
英国で退職した活版印刷工と出会いや祖父の死により活版印刷 ”植字工” を志し、30歳になったのをキッカケに専業活版職人となる

=創作活動=
2013年 4月 家業の印刷所の片隅で単身 ”活版印刷部”として創作開始
2014年 2月 Internet上での受注販売開始 creema/minne/iichi
2017年 4月 兼業から専業になり受注なども受け始める

2019年 9月 印刷所の隣にワークスペース&雑貨屋 aMihSuKoT をOPEN

2020年    
 某ウイルスの為収入が減少。
     
 同年12月ウサギデザイン中心のブランドRabbit Letterpressを発足

 
レトロだとかお洒落とか

そういうものもよくわからずに

活版印刷の世界に入りました

私の子供だった頃、
私の大好きだった祖父は植字工でした。
(※植字工とは一本一本の活字を組んで版にする活版印刷職人です)
祖父の家の傍らに昭和42年に開業した家族経営の小さな印刷工場。
私の子供時代はバブルがはじけ飛んだ後、
それでもまだなんとか時代が良かったのもあって、
​私の祖母も両親も朝6時から夜12時まで身を粉にして印刷所で働いていました。
そんな訳で私の思い出す家族の『 姿 』は工場の中の姿ばかりです。
植字工の​祖父はいつもインクとそれからほんの少し埃っぽい匂いがして、
短く整えられた爪や指先は常に黒く汚れ、服の裾にはインクが付いていました。
日がな一日 活字に向かう祖父を見るのが好きでしたが、
私の『 夢 』 は別のところにあり徳島を離れました。
世は21世紀、私の知る限り時代の流れは印刷業には決して良くはありませんでした。
急成長を遂げたデジタルソフトや家庭用プリンターの普及はゆっくりとけれど着実に印刷業界の仕事を減らしていきました。
 
この仕事を深く考えるようになったのは
成人後、祖父の死の前後にイギリスで生活していた事が大きかったと思います。
日本では馴染みの少ない《蚤の市》が毎週行われる環境と
そこにならぶ【 Letterpress ]という存在の先に思う祖父の姿。
寄り道は多い人生ですが、必然だったかのように活字と向きあい始めて早い物で9年が経ちました。
活版印刷は決してお綺麗なものではなく、
一癖も二癖もある職人技が必要な 職人芸です。
巧くは例えられませんが噛み応えのあるスルメの様な存在だとは思っています。
活版印刷で文字を綴ろうとすれば、
PCに向かって文字を打つことの何倍も何十倍も時間がかかります。
けれど、
ほんの小指の爪先ほどの活字、一文字一文字拾う時
ほんの紙切れ一枚ほどの隙間、空ける事無く組む時
そうして、
組みあがった版から刷り上げられる線や文字たちの表情を
私は何よりも愛おしいと感じて、活字に向かわずにはいられなくなります。
 
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2020年、未曾有の事態により、ペーパーレスが進み、仕事が激減しました。
考える時間がとれたことで、今までの50年の歴史を持つ長谷川印刷活版部という
存在を維持しつつ、新たな試みとしてウサギの働く印刷所としてのうさぎデザインを
盛大に使ったデザイン物の作成を始めました。
伝統的な印刷物を中心とした 長谷川印刷 活版部には私のロマンを 
凹凸のわかりやすいニュー活版な Rabbit Letterpress には私のトキメキが
篭っています。
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